「うー…、さびぃ…」
「さっさと事務所帰って、コーヒーでも飲むぞ…」
博樹と大牟田が、冬の東京の街をものすっごく寒そうに歩く。厚手のジャンパーのポケットに両手を突っ込んで、やや急ぎ足で事務所まで歩く。こういう時、地下鉄の出口から事務所までがえらく遠く感じられるものである。
「博樹、おまえちょっとは寒さに強かったんじゃないのか?」
「寒さに強くても、寒いものは寒いんだよ」
西日本の日本海側の生まれだとは言っても、寒いものは寒いのである。やっぱり。
「着いた着いた、休憩休憩」
「ただいま〜」
事務所に帰ってきて、第2開発室のミーティングテーブルに向かう。
「んぉ、お帰り」
ちょうど、高城たち第2開発室のメンバーが休憩しているところ。カバンの中の資料類を机の上において、ジャンパーを脱いでふたりとも座る。石井が、帰ってきたふたりにコーヒーを入れてくれる。
「おぉ、サンキュー」
「あー、暖けぇ…。外、めちゃくちゃ寒いぞ」
大牟田がコーヒーをすすってから、嘆くように言う。
「だろうなぁ。昨日雪が降ったくらいだしなぁ」
石井が外を見て言う。ここのところ暖冬が多かったのだが、今年の冬は久しぶりに冷え込みが厳しいし、冷え込むのも例年になく早かった。はっきり言って、秋物の服を来てる間がなかったくらいだ。衣替えで秋物を出したと思ったら、ほとんど着る間もなく冬服に変わってしまった。
「おかげでオレは、昨日から帰ってねえし」
とは山崎。東京は、どうしても雪に弱い。ちょっとの雪で交通網が大混乱してしまう。ただ、一般企業には大問題でも、相当自由度の高いフレックス制を導入しているこのPAC−2は、大した影響を受けない。というよりも、勤務時間という形態が、ちょっと見えづらい部分はある。
「ひとりもんだから影響ナシだろ」
ひとりもんではない博樹がぼやく。
『るせーよ』
山崎だけでなく、石井と高城も声を合わせて言う。
「ところで、打ち合わせは、結局どうなったんだ?」
再び山崎。
「こっちの要望は聞いてくれたよ。だいたいは、こないだ送ってきた企画書通りに、ってことで」
博樹が、資料をみんなに配る。先月ごろ、とある出版社から「いま注目のギャルゲーメーカー『PAC−2』と『HiDrow』」というムックを作ると言ってきて、それに関しての打ち合せがあったのだ。第1開発室通称「みのう班」は、今は開発期間中のため、第2開発室に中心的な作業が回って来たのだ。広報担当との調整は終わっているから、あとは現場レベルでの話し合いが主だ。
「HiDrowはなんて言ってたんだ?」
「三隈さんって、ほら、『ベアたける』さんがな、これを機会に、両社で合作でも作りたいね〜、てな事を言ってた。まだ、合作なんかは事務的レベルの話だから、とりあえず前向きに検討しようって事で、持ち帰りになった」
PAC−2とともにここ5年ほどで出てきた「HiDrow(ハイドロウ)」というメーカーは、やはりPAC−2と同じくシナリオ重視のギャルゲーを開発し、今では有名なメーカーのひとつとなった。「ベアたける」こと三隈 猛は、博樹より2歳年上の有名なシナリオライターで、HiDrowの出世作となった「Like
or Love」や「彩(いろどり)」などの企画、シナリオを書いた人だ。
「合作の調整の話し合いなんかは、そのムックの中の対談でページを割いてやってもいいんじゃない?」
高城が言う。
「お、いいねぇ、それ。それ提案してみようか」
大牟田も賛同する。
「んで、企画書に書いてあった『HiDrow』との対戦ってやつだけど、ドッジボールって事になったから」
「ど、ドッジボールぅ?」
企画書の中に、両者の開発室メンバーでなにか対戦をするという企画があった。いわゆる、レクリエーションである。
「オレ、ドッジボールなんて小学校以来やってないぞ」
「オレもだけどな。熱くなるだろうからおもしろいんじゃない、って事で決定した」
大牟田がコーヒーを飲んで一息ついてから言う。
「とまぁ、こんな感じだった。発売は、来年2月ごろって事で」
博樹が資料を整理して、残っていたコーヒーをすする。
「…そういえば、そのツリーどうしたんだ?」
テーブルの向こう側、窓のそばに、いつのまにかクリスマスツリーが飾ってある。
「あぁ、午前中に社長が総務の木下さんと飾りに来た。『第2開発室は、クリスマスなのに飾り気もないのか』とか言いながら」
広川がそのツリーを眺めながら言う。
「そうかぁ、第1開発室と間接担当室は、毎年飾ってるもんなぁ」
大牟田が言う。
「…そういや、上川と大牟田はクリスマスは休みだったな?」
高城が、横目で見ながらいう。
「オレもじゃい」
一応既婚者の広川。
「既婚者の大牟田や広川さんはともかく、上川はちょっと違うもんな〜」
「まだ結婚もしていないのに、いいですよねー」
高城と石井のキツーイひとこと。
「うるせーよ。おまえらも、一緒に過ごすような相手はおらんのかい」
「愛すべきパソコンと一緒に過ごしますとも…、およよよ…」
山崎がウソ泣きする。パソコンと過ごすとは、作者と一緒で悲しいヤツだ。
「あほかい…」
広川が、ぼそっと言った。
「ふんふーん♪」
24日の午前。大牟田がひとりで都内のデパートを歩いて回る。クリスマスセール真っ只中のデパートの店内は、親子連れからカップルまでやっぱり楽しそうな顔をした人達がいっぱいいて、何か華やいでいる。大牟田だって、その顔が妙に嬉しそう。
「プレゼントって、何を買ってやったらいいんかな〜…」
おもちゃ売り場を回ったり、ベビー服の売り場を回ったりと、相当悩む。悩むと言っても、我が子に買ってあげるプレゼントに悩むんだから、いい悩みだ。
「そうだな…。由斗と一緒に遊べるようなのがいいよな…」
おもちゃ売り場で、大牟田がむ〜と唸って考える。
「すいません。これ、つつんでもらえますか?」
と言って大牟田が指差したのは、ちょっと大きめのボール。このボールで、親子3人で遊びたい、という大牟田の気持ちがあったのだ。
「よっしゃ、かーえろっと」
ルンルン気分で家に帰る大牟田。子供が出来ると、やっぱりクリスマスも違ってくるものだ。
「んぉ?」
玄関のドアを開けようとして、かかっているものに気付く。
「ただいまー。…由里子〜。玄関のあれ、どうしたんだ?」
「玄関のあれ? あぁ、リースの事?」
「あぁ、それ。クリスマスリース。いつの間に作ったんだ?」
手にいっぱいの荷物を下ろしながら言う。
「こないだの休みの日。あなたと上川さんが揃って打ち合せでいなかった日があったでしょ。その時に、あずさちゃんと一緒に作ったのよ」
由斗を抱きながら、由里子が言う。
「い? そうなのか?」
全然知らんかったという感じの大牟田。
「上川さんの方がビックリしてるかもよ。あずさちゃん、けっこう上手に作ってたから」
「んー、…そうだな。…っていうか、その由斗の格好はなんだぁ?」
大牟田が、ちょっと笑いながら言う。
「かわいいでしょ? クリスマスイブだからね」
サンタクロースの格好をした由斗。本人も、意外とまんざらでは無さそうな、なんか楽しそうな表情。
「あぅーっ」
「そっかぁ、楽しいかぁ、由斗」
親の顔で笑う大牟田。
「さ。かわいいかわいい由斗のために、今晩の準備するわね」
「おう、よろしく」
「じんぐっべーじんぐっべーすずーがーなるーぅ」
「きょうはー哀っしっいーくーりーすーまーすー」
「へい!」
「へいじゃねーよ…」
高城、石井、山崎ら、第2開発室の寂しい面々がクリスマスイブも哀しく作業を続ける。ちなみにこの3人。ブースが横に並んでいるのだ。向かい側には大牟田と博樹のブース。もうひとつは空いている。広川は高城のブースから通路挟んだ壁側のちょっと広い所にいる。音楽担当は、物が多いから広い所が割り振られているのだが、その広川も今日はいない。山崎の向かいの大牟田も、石井の向かいの博樹もいないし、高城の向かいは元からいない。
「バイトも、今日はちょっと数が少ない気がするが…」
山崎が気付く。確かに、今日は若干少ない気がする。
「きっと気のせいですよ、きっと…」
石井が、何かを紛らわすように言う。
「なぁ、友香にこんな格好させたんだけど、サイトに載せたらダメか?」
高城がプリントアウトした紙には、「Present
for me」でヒロインとなったキャラクターが、妙にはだけたサンタの格好をしているグラフィックが。
「おぉっ、萌え」
「よし、いけ、今すぐ行けっ!」
なーんか、興奮している山崎に乗せられて、高城がJPEGに変換したデータを持って、間接担当室の中にあるサイト管理担当のところまで走る。
「野上さん、これトップ画像で頼みます!」
ちょうどそこには、第1開発室の美濃と西川の姿も。
「おぉ、なんやなんや」
突如入ってきた高城に、美濃が驚く。
「トップ画像? なんか作ったの、クリスマスイブだから」
野上が苦笑しながら言う。
「その通り。とりあえず、見てくれい」
カチかちカチと、フロッピーに納められたJPEGデータを開く。
「んおぉっ!」
美濃が叫ぶ。
「おぅっ、萌えっ!」
西川が悶える。
「おっしゃっ、承認っ!」
野上が猛スピードで作業をはじめる。
「なにやってんだ、あいつら…」
それを、社長は遠くから見つめていた。
「あれ、社長。今日は休まないんですか?」
「じゃかましいっ! 夕方には帰るわいっ!」
広報担当宮崎のツッコミに、社長がおもわず叫んだ。
「ジングルベールジングルベール鈴が〜鳴る〜♪」
そして博樹とあずさの家。あずさが楽しそうに、台所に立って今晩の料理の準備を続ける。
「嬉しそうだな、あずさ」
「そりゃそうだよ。クリスマスイブだもーん」
博樹もあずさを手伝いながら、自分も気分がよくなる。やっぱり、クリスマスって言うのは不思議な力を持ってるんじゃないか、と思っている。今日がクリスマスイブというだけで、あずさがこんなにルンルンとした気分でいてくれるのだから。
「よし、準備おしまいっ!」
「よっしゃ! 休憩しよっか」
「うん!」
リビングで、ふたりが寄り添ってくつろぐ。
「そういえば、玄関のドアに飾ってあったクリスマスリース。あれどうしたんだ?」
「あ、あれ。えへへー。よく出来てるでしょ」
「うん。けっこう上手に作ってあったけど…」
「私が作ったんだよ」
あずさが、何か誇らしげに言う。
「おぉ、そっかぁ。うまいこと作ったなぁ」
「えへへー、でしょ?」
「ひとりで作ったのか?」
「…えへへ、…実はね。…由里子さんに教えてもらったの」
「由里子さん…? …い、…大牟田の奥さんの?」
「うん」
博樹、驚く。こないだ見てて思ったが、由里子とあずさは、何か意気投合しそうな感じがあった。
「こないだの、博樹お兄ちゃんと大牟田さんが打ち合せでいなかった休みの日があったでしょ」
「…おぉ、あったあった」
「その時にね、由里子さんがうちまで来てくれたんだよ」
「へー、そうだったんか…。全然知らんかった…」
これはあとで、大牟田に礼を言っておかないとな、と博樹は思った。
「けっこう上手なんだな、あずさって」
「えへへ、でしょ?」
得意げなあずさ。その笑顔がかわいい。
「博樹お兄ちゃん」
「ん?」
「今年も、クリスマスプレゼントありがとね」
「いんや、どういたしまして」
博樹が、あずさの頭をなでなでする。
去年のクリスマスプレゼントは、大きなクマのぬいぐるみだったが、今年はネックレス。そんなに高いものではないけれど、今のあずさの首にそれが着けられている。それを着けて、嬉しそうな笑顔を見ているだけで、博樹も幸せになって来る。
「なんだか、私よりも博樹お兄ちゃんのほうが嬉しそうだね」
「んー? そうか?」
あずさをきゅっと抱き寄せているだけで、なんだか博樹には幸せが感じられてしまう。
「あずさ」
「なに?」
「キスしていいか?」
「…うん、…いいよ」
あずさが目を閉じて、博樹が唇を重ねる。そっと抱きしめて、そのままやさしく寝かせる。
「…ごめん、…していいか?」
「うん、いいよ。…博樹お兄ちゃんと思いが通じ合って、ちょうど1年なんだよ。…わたしも、…したかったんだもん。…夜まで待ちきれないよ」
「うん、…あずさ」
そのまま、ふたりは肌を重ねあった。
そうして、ふたりがふたりっきりのごちそうを終えて、また去年と同じように、近くの通りまでイルミネーションを見に向かう。
「きれいだね、今年も…」
「あぁ、…そうだな」
ふたりが手をつないで、そのイルミネーションを見つめる。
「そういえば、去年のここだったんだよね。告白したのって」
「うん、…オレとあずさが、一緒に告白したんだよな」
去年と違うのは、ふたりの心が通じ合っている事。手をつないで、ふたりが寄り添う。
「ね、…ファーストキスも、ここだったね…」
「そうだな…。ロマンチックでよかっただろ」
「うん。…夢見てたのよりも、…すごくよかった」
ふたりが顔を見合わせて、くすっと笑った。
「今年も…、…ね」
「あぁ、今年もな」
ふたりが顔を近づけて、唇を重ね合わす。
「……」
「……」
「…えへへ、…うれしい」
「うん、オレも嬉しいな、なんか…」
「来年も、…一緒に来ようね」
「うん、来年もな」
ふたりがもう一度キスをして、抱き寄せ合った。
今年のクリスマスも、幸せなふたりでした。
「ところで、作者さんは?」
あずさが、首を傾げて聞く。
「フツーに仕事らしいぞ。一人身だからな」
「うるせーよ」
「寂しいクリスマスなんだね」
「ケーキは食いたいらしいぞ」
「やかましい」