・「くりえいた〜」
・博樹とあずさの日常から〜8−9「1年」


「忘れ物無いか?」
「うん、無いよ。じゃあ、行ってくるね」
 9月の初め。夏休みが終わって、今日からいよいよ2学期。元気よく学校へと向かったあずさを見て、博樹もちょっと体を動かしながら事務所へ向かう準備をはじめた。
「さぁ〜ってと、オレも今日から休暇明けだから事務所行くかな〜っと」
 博樹が開発担当をしたソフトから、そのまま流れでアミューズメントソフトの開発に入ったPAC−2第2開発室は、社長の判断で1週間の休暇を与えられた。いわゆる、充電休暇というヤツである。本来なら、夏休み中に半月ほどある予定だったのだが、ソフトの売り上げが予想以上だったこと、アミューズメントソフトにみんな乗り気になってしまったことから、とりあえず休暇を後回しにすることになった。
「…あち。…事務所いく気が失せるな…」
 混雑も和らいできた9時ごろに家を出て、駅まで向かう。まーだまだ暑い日差しが照りつける。Tシャツというラフな格好をしている博樹だからいいものの、背広を着ている人なんかは大変だろう。
 そこそこ空いてきた地下鉄直通の電車に乗り、事務所の最寄駅まで40分。車内のよく効いた冷房が、この暑さには嬉しい。9時に出ても、10時には事務所についてしまう。自分でもいい所に家があると思う。とは言っても、この賃貸マンションを見つけてくれたのは社長だったりするのだが。
「おっはよー」
「おー、おはよー」
 開発室内では、すでにプログラム担当の山崎と音楽担当の広川が仕事に就いていた。大牟田はまだ来ていない様で、大方、嫁さんと「あ、しまった」とか言ってるんだろう。ちなみに大牟田は、西側に住んでいる。
「博樹、おはよう」
「あ、おはようございます。社長」
 ミーティングテーブルに行くと、社長が書類を見ながらコーヒーをすすっていた。このひとも、実は博樹と同じ方面に住んでいるらしい。
「休暇、楽しんだか?」
「えぇ、そりゃもう」
 実は休みの間、あずさと旅行に行っていた。もう8月下旬で海なんて行けないから、群馬の方までロングドライブに行ってきたのだ。
「ほれ」
「あ、こりゃどうも」
 社長が入れてくれたコーヒーをすすりながら、社長と工程のことを話す。
「とりあえず、今月中のマスターアップで大丈夫か?」
「なんとかなるでしょう。みんな、相当ハイペースで作ってますし」
「そうか。7月の分も、開発費の回収は確実だから、その波に乗るつもりでバーンと売ってくれい」
「ユーザーの御期待に添えるように、第2開発室一丸でがんばりますよ」
「おはよーっ!」
「…おー、おはよ」
 10時半。妙な髪形になった大牟田が、入ってきた。いつもより30分も遅い。寝坊したんだろうな、大方。
「寝坊か?」
「寝坊」
「やったのか、昨晩」
「やれるわけね〜じゃんか。うちの嫁、もうに…、いや、なんでもない」
 なんか、妙な事を聞いたぞ、今。
「大牟田ぁ。おまえ、なにかおめでたいことがあるんじゃないのか?」
 書類に目を落しながら、社長が聞く。
「あー、うー、いー、えー、と、あー、いや」
「おー、動揺しとる動揺しとる」
 しどろもどろにもほどがある大牟田の様子に、社長と博樹がふたりで苦笑する。
「んま、生まれたら報告だけはせえよ」
「見に行ってやるからな〜」
「そう言うオマエこそ、あずさちゃんを妊娠させんようにしろよ」
「うぐ…」
 そう切り返されると、博樹も返す言葉がない。まぁ、まだお月様は来ていないとはいえ、そろそろだろうとは思っている。
「さて、そろそろ仕事取り掛かれよ」
「ういっす」
「あぁ、そうそう、博樹」
「ほい、なんすか?」
「今日は、ちゃんと早く帰れよ」
「…はい、わかってます。…つうか、社長、なんでそう言う話を知ってるんですか?」
「そのうちわかるって」
 社長が社長室へ戻るとともに、ふたりも自分のブースへと戻った。


「たーだいま」
「おかえりー!」
 リビングから、グリーンのチェック柄のエプロンを着たあずさがとたとたと駆けてくる。
「今日は早かったね」
「おう、あずさと暮らし始めて1年の日だしな」
「あ、…覚えててくれたんだ」
「当たり前だ」
 ぽむっとあずさの頭を撫でる。そう、今日はあずさと暮らし始めて1年の記念日。食卓には、記念日らしく、…あーあ、これまた大量のごちそうが…。
「…えへ、…えへへへへ」
「ま、いっか。いつものことだしな」
 博樹があずさの顔を見て、にっと笑う。こういう記念の日のごちそうは、すさまじい量と相場が決まっている。博樹とあずさにとっては。
 とはいえ、それをふたりで消化してしまうのもすさまじい。1時間ほどできれいに片付いたテーブル。それも、博樹とあずさにとっては「相場」である。
 ふたりでお風呂に入って、リビングで寄り添ってゆっくりとする。
「ね、博樹お兄ちゃん」
「ん? なに?」
「去年の今頃は、こんな風になるって思ってた?」
「そうだなぁ」
 博樹がちょっと考えて言う。
「希望はあったけど、実際問題どうかなって思ってた。そういうあずさはどうなんだ?」
「うーん、私は、…なれたらいいなって思ってたけど、…本当になれるなんて思ってなかったよ」
「そっか…」
 博樹がぎゅっとあずさを抱きしめる。
「いいにおいするな、あずさって」
「…えへへ、ありがと…」
「あずさ、目つぶって」
「…うん」
 あずさが瞳を閉じると同時に、博樹が唇を重ねる。
「…1年前は、…こんなこと出来なかったもんな」
「うん…。でも、…今はいっぱい出来るんだよ…」
「あずさ、…いこっか」
「…うん」
 博樹があずさをお姫さまだっこして、寝室へと向かった。
 ふたりの物語は、まだ続く。


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